今日も全力で世界に迎合しております、こちらは水溶性理論になりますどうもこんにちは。
一昔前、日本人はランキング大好き民族としてその名を世界に轟かせました。売上こそが正義。1番売れているものが、1番良いもの。そういう価値観で育ってきた人も多いと思う。
その手の空気はインターネットの普及と共に一気に払拭されていったんだけど、とは言え一部では根強く残っているのも事実。
特に「あまりその界隈は詳しくないけど何か興味あるから触ってみたい」勢にとって、数多のランキングは今でも有用なものだと思う。
しかしインターネットがインフラとして整い切った昨今、信用できる情報を自分で取捨選択しなければならなくなってしまった。クソみたいなランキングとかたまに目にしますよね。お前それ売りたいだけでしょっていうやつ。
そんな感じで、便所よりも臭い商業主義にまみれたドブのような世の中ですが、こと漫画については、幸いそれなりに信用できるランキングが機能しているんじゃないかなと思う。
前回の記事でも少しだけ触れた、「このマンガがすごい!」の事なんですけどね。嫌いな人もそりゃ中には多少いるのでしょうけど。俺は結構良くできてるなと思ってる。

というわけで、今回はこのマンガがすごい!2019にてオトコ編1位を獲得されました『天国大魔境』について書いてきます。
既に1巻を読んでいる人向けの、ネタバレ全開記事になるのでそこんトコご留意くださいませよ。
1巻が既にちゃんと面白い
繰り返すけどネタバレしかないから気を付けてね。
さて、前回作者のインタビューを拾って「まだすごくない」なんて事を書きましたが、いやもう1巻でちゃんと面白いんだよ。ごめんね。面白い。
この漫画、いきなり作品世界に放り込まれて、ロクに説明もされないまま話が進んでいくスタイルじゃないすか。
でも、読み進めていくのに何のストレスも感じない。すらすら読める。これは、キャラクターのやり取りが面白かったり、どんどん状況が動いていくテンポの良さが上手いんだと思う。その辺は流石、石黒正数先生という感じ。
ただそれだけでは、このマン1位という事にはならない。
何故『天国大魔境』は、1巻しか出てないのにこれだけ話題になったのか。そりゃもう、とにかく「わからない事が多すぎる」からだと思う。
皆さん感じる事だと思いますけどね。この漫画とにかく謎が多いじゃないすか。大小様々、色んなところに散りばめられてる。この風呂敷の広げ方、面白さは浦沢直樹先生の『20世紀少年』に通じるところがあるかなっと。
いかにも重要そうな要素から、何気ない会話の1コマまで、まあ気になる事が多すぎる。でも話のテンポがいいから、どんどんストーリーは進んでしまう。かと言って、謎がいちいち解決していくわけではない。
そんな感じでページをめくりながら、ちゃんと1巻の時点で面白い、と思わせるのは、1つの謎について「十分に読者が予想できる答え」を作ってるからだと思う。しかもそれがコミックスの最後の大ヒキでくる。
ここね。
天国大魔境 1巻 石黒正数 講談社 より引用
これが1巻のラストシーン。
上手いのは、ここに至るまでに「もしかして」というレベルで読者に答えを想像させてるトコ。
その前振りがあるから、この場面で「やっぱりね」的な気持ち良さを感じられる。謎謎謎で、何一つわからないまま1巻が終わるのと、この終わり方(ヒキ方)をするのでは大分印象が違ったんじゃないかな。
それではキルコの告白に至るまでの、「もしかして」シーンを挙げてみよう。
- 一人称が「僕」
- 暴漢たちに襲われた時「僕も男だ」と言っている
- 年齢が曖昧。「僕18……いや20かな」
- 頭に手術の跡、その時の夢
- 「人食い」に食われかけた事がある
- 死別した弟がいた
あと、旅館での全裸シーンも伏線かね。あのシーンに違和感を覚えるのは、ちょっと男性にはハードル高い気がしたけど。女性なら気付くものなのかな。
まあこんな感じで。多分多くの人が、死別した弟の話の辺りで察するような感じかな。そして告白シーンですっきりするという。
ただ、一応の「なるほど」は得るのだけど、新しい謎も生まれてしまう、というのはよくある流れ。
今回の場合、「じゃあ桐子はどうなったの」というのが新しい謎だよね。死んだの、だとしたらなんで死んだの、なんで頭の中だけ別人なの。というかそもそもそんな事可能なの?いやほんと、ブラックジャック先生にいくら包めばやってくれるのその手術。
この辺の疑問の多くは、2巻でそこそこわかると思う。気になる人は、アフタヌーンのバックナンバーでも調べるといいよ。
まあまあそんな感じで。
- 大前提として石黒先生の漫画技術が上手いという事。
- 醍醐味である謎の羅列。
- 読者に答えを想像させつつ最後に(ほぼ答えと同義の)大ヒントを提示して終わる
この手の漫画としては全く言う事なしの完璧な1巻じゃねーかコレ。というやつでした。流石だね。面白いね。
それでは答えがわかっちゃった謎以外について、次段で触れてきますぞ。
謎のこと
とにかくわからない事が多すぎるので、簡単にまとめて箇条書きするにする。
1巻で出てきた謎集。
☆マル・トキオ共通編
- マルとトキオは同じ時代に生きているのか
- 何故マルとトキオは同じ顔なのか
- タラオとミクラさんは同じ病気なのか
☆マル・キルコ編
- 15年前に何があったのか。災害とは。規模は。描写を見ると地震っぽいけど
- キルコが探している2人の人物について(稲崎露敏と「医者」)
- キル光線ってなに。強盗いわく「見た事ねェヘンテコな銃」。グリップのマークは一体
- 人食いってなに。何故マルは殺せるのか
- マルの過去全般
☆トキオ編
- トキオ達の置かれている状況全てが謎
- どこなのか。マル達の探している「天国」なのか
- ロボットが普通にいるけど、どういう事
- ミミヒメの超能力、タカ・ククの身体能力、一体なんなの
- トキオの端末に問11を表示させたのは誰、何の目的。
- コナの不思議な絵
- シロ(マッシュ)にミミヒメのシャワー画像を送ったのは誰
- 「本当の赤ちゃんには顔がない」とは
こんなトコでしょうか。あと何となく気になったのは、トキオたちの名前。
トキオとマルになんらかの関係があるのは間違いないですけど(クローン説は石黒先生が公式に否定)、じゃあ例えば
マルがゼロ、トキオが10みたいな数字をもじってるやつかな、とか。でもそうするとタカとかタラオがよくわかんないので違うっぽいか。
タラオって名前も色々考えちゃうよね。タラオといえばサザエさんのタラちゃんだけど。
サザエさんを初めて見た子供の頃って、タラちゃんとカツオたちが兄弟だと思いませんでした?結構多くの人が勘違いするんじゃないかと思うんだ。
つまり、タラオってのは「同世代に見えるけど実は下の世代」ネームなのかな、とかね。でもそれもう『外天楼』でやってんだよな。流石にセルフ二番煎じはないか。
とまあ、こんな調子で、あーでもないこーでもないと語りたくなるのがこの作品の魅力すね。本当この感じ、初期の『20世紀少年』みたい。とても楽しい。
きっとこれらの謎たちも、キルコの告白と同じように「1つ解決したらまた新たな謎が」展開が続くと思う。
このマンのインタビューによると、当初の予定では5巻くらいで描くべき事は描き切れる予定だったらしいけど、どうなることやら。
何度も引き合いに出して気が引けるけど、『20世紀少年』の様な「謎解きフェイズがクソ残念漫画」にならない事を祈ってます。杞憂だと思うけど。
はい。謎についてはこの辺で。
次段では、ばらまかれた伏線以外にもこの漫画で見るべき要素あるんじゃねーの、という話をちょっとしたい。
壁の外と内という構造
この『天国大魔境』という漫画、いわゆる「壁漫画」の総清算的な位置づけになったらいいなと思ってる。
「壁漫画」というのは、例えば『進撃の巨人』であったり、『約束のネバーランド』であったりの事ね。壁があって、世界が外と内で分かれている漫画の事。
2009年に『進撃の巨人』の連載が始まって約10年。ここで『天国大魔境』が出てきたのは、ちょっとした時代の流れを感じるよなあ、という話をします。
これまでの壁漫画と言えば「お外は怖いよ。ヤバいよ。でも、内側にこもっていても幸せになれないから出ていかなきゃね」という形が多かった。
これはもう単純に、壁の内側=家、個人であり、外側=社会、他人っていう構造。世の中は怖いぜ。敵ばっかりだぜ。というメンタル。
こういう話の構造って前世紀から延々やり続けられているテーマではあるのよ。まあまあよくあるヤツ。
ただこのパターンの、00年代から現在までの特徴として、「壁の外側=恐怖」という感覚が強烈にシンパシーを得るようになったっていう状況があるな、って感じ。
そして並行して描かれる「内側に閉じ込めておきたい大人」という要素ね。毒親なんて言葉が普通に聞かれる世の中だから、よくわかる話。
さてでは、『天国大魔境』は(今のところ)どういう構造か。
まず主人公が両サイドから描かれてるってのがちょっと面白い。トキオは内側から外側へ。マルとキルコは外側から内側へ。
トキオサイドは、今までの壁漫画とよく似た構造だよね。恐らくだけど『約束のネバーランド』に近い展開というか、雰囲気を感じる。閉じ込めたい大人もいるし。
マル・キルコサイドはこれまでの壁漫画にはなかった展開。外側から内側を目指すストーリー。
ただこれ、壁漫画としては新しいけど、ここだけ切り取ったらただの「ユートピアもの」なんだよな。キャラクターのメンタルは違うけど、話の構造としてはそういうやつでしょ。ここではないどこかへ系。
この「壁漫画のテンプレ」と「昔ながらのユートピアもの」を同時にやるというのが『天国大魔境』の面白さの1つであり、『進撃の巨人』以降の壁漫画について一旦の答えを出してくれる作品だと期待させる由縁でもある。
もう少し「壁漫画として見ると面白いよね」話をします。
まず、マルとキルコのキャラというか、あの世界の設定が非常によくできてる。リアルというか。
天国大魔境 1巻 石黒正数 講談社 より引用
外側サイドの2人は、生まれた時から世界が地獄でしょ。でも無法世代の彼らは世界に全然絶望してない。内側の大人は壁の外を「地獄」と言うけど、本人たちには全くそういう悲壮感がないんだよな。
そして彼らが探している「天国」だけど、これもそもそも「天国」っていうただの言葉であって、彼らが「もっと暮らしやすい場所」を求めているという節もない。
この辺の描き方、割と現実にリンクさせてる気がするんだよな。
生まれた時から国の経済成長が死んでて、未来に希望とかないけど「それが当たり前」っていう世代。そのたくましさ。色々思うところある人いるだろうけども。そういう強い若者みたいなものが、マルとキルコに反映されてるように見える。
で、若年層をそういう希望的な観点で捉えて描くというのが、個人的にはとても好き。石黒先生の抱く、未来への希望みたいなものを感じる。言い過ぎか!まあいいか。
あー。この辺のメンタルの違いっていうのは、職場とかで若い人たちと接する機会の多い中年諸兄にはよくわかる話かもですね。いわゆるジェネレーションギャップというやつ。
そしてそんな希望を託した若者を描く一方で、大人たちに対しては「もうちょっとしっかりせーよ」というメンタルも垣間見える気がして、例えばこことか。
天国大魔境 1巻 石黒正数 講談社 より引用
いや考えすぎだろ、これはただのキルコの感想でしょ。ってね!わかるけど!それを言ったらこのブログ、全部そういうのでできてるから!バーカ!
1回ちょっと取り乱しておこうと思いました。バランスバランス。
まあアレですよ。キルコをして「アッパラパーの集まり」と言わしめる程に、大人どもだらしねーぞ、って事すよ。
ただキルコたちは、別に大人たちを見下したり憎んだりはしていないとも思う。キルコもマルも、とてもフラットで地に足のついた強さを持ってるんだよね。見ていてとても気持ちが良いキャラたちですね、と。はい。
なんか少し話が逸れてる気がする。
キルコとマルというキャラクター、つまり、「最初から壁の外にいる若者」の置き方がこれまでの壁漫画とは一線を画しているよね、という話をしたいのだった。
上の方で書いたけど壁漫画における「壁の外側」というのは、社会であり他人の世界である。そこに生きる若者は、世界に対して絶望していない、しかし期待もしていない、というスタンス。これがとても今風だし、現実を生きる若者のメンタルを上手く切り取ってると思う。
そんな若者が壁の内側に触れた時、何が起こるのか。
その描き方で『天国大魔境』が俺の期待する「壁漫画決定版」になるか否か、どうなるか、って所です。
俺の期待とかどうでもいいでしょう。知ってる。ごめん。
ただね、そういう見方もできる楽しい漫画だよねーっていうね、そんな感じのアレです。はい。
大体こんな感じ
最後にもう一つだけ。キルコ達の目指す天国は果たして本当に天国なのか問題について。
『天国大魔境』に於いて、この問題を物語の序盤からしっかり提示しているのが俺はとても嬉しい。
この手のギミックを中盤辺りに持ってきて「驚きの展開!」ってやるの、よくあるじゃないすか。そういうのもういいです、ってやつ。
キャラクターの目的はある程度ハッキリしてるのに、その先にあるのが「どうやらハッピーではない」事が既に読者はわかってる。だから(当たり前だけど)全然結末が想像できない。
謎だらけ伏線張りまくりの漫画だからね。ゴールがわかっているようで実は全然わからないっていうこのチューニングが、読んでいて実に楽しいじゃないすか。
はい。本当にこれで以上です。
終始褒めっぱなし絶賛し放題の記事になりましたが、本当に面白いから仕方がない。
クリーチャーもちゃんと不気味だし、アクション描写も思った以上に上手い。けなすところがない。
そんな『天国大魔境』、期待しかない作品がまた1つ増えてしまってお財布がしんどくなる一方だね、という記事でした。
2巻が出たらまた何か書けたらいいな、というところでおひらき。ありがとうございました。
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