中学の時の数学教師がね、ちょっと変わった人というか、頭のおかしな奴でね。水戸黄門の主題歌を俺たちに歌って聞かせるわけですよ、授業中に。
人生楽ありゃ~の部分じゃなくてなんだアレは2番なのか?後から来たのに追い越され、泣くのが嫌ならさあ歩け、だったっけ?そんな感じのやつ。
中学生だからね、まだまだ純粋だからさ。民明書房が実在するって信じてたからさ。そうか、日々の努力が大事なんだな、って彼のメッセージをちゃんと受け取ったわけですよ俺は。
でも嘘だよねぇ。どんだけ努力しても、後から来た天才があっさり追い抜いていく。それが現実。はーもうマジクソゲーだな人生!
そんな有象無象共のトラウマを、鞭でブチ叩くがごとく刺激する、最高の天才漫画『昴』を今日はご紹介。震えるぞこの漫画。
簡単にあらすじなど
タイトルくらいは知ってるって人が多数だと思うが、読んだことある人は意外と少ないかもしれない。一応、試し読みリンク(e-book)張っときますね。
『昴』は1999年~2002年までビッグコミックスピリッツで連載されていたバレエ漫画。踊るバレエね、白鳥の湖とかのやつ。
全11巻。『昴』の後に続編『MOON』全9巻があるけど、ここでは『昴』の事をメインで書きます。『MOON』は最後にちょっと触る。
作者は『め組の大吾』や『capeta』の曽田正人。この2つの作品も普通に名作。とても面白い。読んだことある人はわかると思うけど『め組の~』も『capeta』もそしてこの『昴』も主人公がちょっと頭おかしい。曽田正人の漫画の主人公はみんな頭がおかしいです。多分アカギとかと話が合うんじゃねーかな。
ざっくりあらすじを書くと、天才的なダンスの才能を持った少女昴が、その圧倒的な才能で凡才どもを蹂躙してバレエ界でデカい顔する。って話。
いまいちピンとこないよな。要するに天才の話なんすよ。1人の天才がその才能を爆発させる話。その過程で天才ゆえの苦悩とか、喪失とか、喜びとかがあって、それを眺めて引きつった笑いを浮かべるのが俺たちの仕事です。
はっきり言ってこの天才少女昴には、俺たちが共感したり同調したりできる要素はほとんどない。そういう感情移入的なものはすっぱり諦めよう。ぶっちぎり過ぎてついていけない。ゴジラが街を破壊するのを見てちょっと気持ち良くなるような、あの感じを常に味わう漫画だと思ってくれていい。
すると昨今の風潮に敏感なみなさんの中には「お、なんだ。この漫画は俺tueeeなのか!?」と訝しがる方もいるだろう。だいじょぶだいじょぶ。『昴』は遍く俺tueee作品がお手本にするべき漫画です。ちょっと嫌われがちな「俺tueee」を回避するにはどうしたらいいか。その辺も書いていきたい。
天才型主人公とはなんぞや
さて。昴は天才ですよーと散々煽ったところで、漫画における天才主人公とはどんなもんか、と。
主人公が天才の漫画といえば。人それぞれ色んな漫画が思い浮かぶでしょうけど。『キャプテン翼』とか『ヒカルの碁』とか、競技系以外だと『DEATH NOTE』とか。
天才=才能≒血統みたいな風潮もあるよね。それだと『NARUTO』とか『BLEACH』なんかが「実はこいつ天才(血統)でしたー」タイプでちょっと物議を醸しましたな。あ、全部ジャンプ漫画になっちゃった。他意はないです。
天才型の対称的な系統として、努力型ってのがあると思う。じゃあ天才型の主人公(キャラクター)は努力してねーの?っていうと全然そんな事はない。結構、特訓とか修行とかしてる。その上で、でも何でそんなにそこまで強いの?っていう疑問への回答の一つが「天才ですから」なんだな。
つまり天才型主人公なんてのはほとんどがインフレの言い訳ではなかろうか、と思うわけですよ。だってあいつら物凄く努力してるもの。
では、本当の意味での天才型主人公なんてのは存在しないのだろうか。みんな天才の皮をかぶった努力家だったのか。いや待て。多分そんな事はない。
そもそも天才という概念は、努力をしてるとかしてないとか、親が元火影とか、そういう事じゃ決まらないんじゃねーかな。では天才型主人公とはなんぞ。はい。俺の考える天才型主人公の定義は二つ。
- 苦戦しない
- 唯我独尊
これだ。『テニスの王子様』の越前リョーマなんかかなり近いけど、割と苦戦するしちょっと違う気がする。「天才」というとちょっと違和感あるが『ヘルシング』のアーカード辺りがこのタイプかな。
これ、2番目の唯我独尊っていうのが結構重要だと思っていて、何が重要かって、「そいつの人間性が周囲から嫌われている」ってトコなんすよ。嫌われている、だと言い過ぎか。疎まれている、というか、近寄りがたい、というか。
要するに、周り(凡人)から理解されにくい、っていうやつね。裏返すと、周りの奴に歩み寄らないんだな、この手のキャラは。
いわゆる天才ゆえの孤独、みたいなやつ。おお、くっそ腹立つなこのワード。格好つけやがって。
天才昴の可哀相な日常
まあそんな感じでですね、昴は正しく天才型主人公なんすよ。とにかく苦戦しないというのは前述した通り。実力不足で苦労するという描写はほぼないと思う。
人間関係はと言うと、その辺りかなり寂しい奴で、結構な美少女らしい設定なんだが16歳までお付き合い経験なし。友達と呼べる相手は一人だけ。
双子の弟は幼い頃に病気で死んじゃうし、その死に際全力でトラウマを打ち込んでくる。それをきっかけに母とはぎくしゃくした関係になり、家には居場所がない。
バレエを教えてくれた師匠は、実の娘のように昴を可愛がって、時に優しく時に厳しく、彼女を支えていたけど大事なコンクール中に他界。昴は死に目にも会えなかった。
終盤でお互い理解し合えそうな男性と出会うものの、サクッとふられちまったりね。
結局、昴が出会う人間はほとんど皆、彼女のバレエの才能しか見ていない。だからなのか、昴も彼らに対してきちんと心を開いたりは全然しない。バレエ仲間は増えるが、彼女の理解者はほぼゼロだ。
『昴』をまだ読んだことのない人は、こんな情報見たら「可哀相な子だな」と思うかもしれない。気の毒だな、と。もっと幸せになって欲しいな、と。大丈夫、まったく心配ない。
この漫画は昴に対してそういう感情を一切抱かせないようにできている。むしろ、逆なのだ。てめーがカワイソーなわけねーだろ!きっとあなたもそう思うはず。
まあ、とは言えだ。昴の境遇はかなりしんどいと思う。自業自得な面もあるけど、弟や師匠との死別は読者的にもかなり心にくるものがある。ちょっとくらい同情してあげてもいいのではないかとも思う。だが作者曽田正人は、俺たちにそんな甘っちょろい考えは持たせない。どういうことか。
一言でいえば、昴が天才だからだ。
彼女は徹底して、他者と相互理解をしようとしない。そしてそれは、作中のキャラクターだけに留まらない。やつは、俺たち読者の事も突き放している。
序盤はまだよかった。天才がその才能を開花させていくさまは見ていて実に痛快だ。不幸描写も相まって、自然と昴を応援したくもなる。この辺りの流れは、今思い出したんだけど『ガラスの仮面』に近いものがあるかな。
だが物語が中盤になり、渡米する前後辺りから徐々に雲行きが怪しくなる。才能の暴走が始まるのだ。
救急呼ばれるぐらいの高熱状態でもぶっちぎりのパフォーマンスをかますし、刑務所での奉仕公演では「自由な自分」をフルパワーで表現して囚人に暴動を起こさせてしまう。
その刑務所公演、彼女のダンスを見て自身のどうしようもない不自由さを呪い、とうとう涙を流す囚人まで現れるのだが、それを見た彼女は満面の笑みで「キモチイイーッ!!!」。ええええええ。
同じバレエ団の仲間もこれにはドン引きである。観客を痛めつけてどうする、と。この先この娘とまともに付き合っていけるだろうか、と。そりゃそうだよ。一歩間違えたら昴も仲間も殺されちゃうかもしれなかったしね。バレエの公演で。普通に頭がおかしい。
この辺りで俺たち読者にも、このバレエ団の仲間と同じような気持ちがじんわり芽生える。こいつやべー奴だぞ、と。今まではちょっと同情したり応援したり感情移入もできたけど、いよいよこりゃあついていけねーぞ、と。
そんなんなったらもう漫画読むのやめちゃうだろ、と思うかもしれないが、そんな事は全然ない。感情移入はできないが、一歩引いた目線で昴という天才、現象を観測する方向にシフトするだけだ。こうなるとのめり込み度はむしろ増す、と言ってもいいと思う。
全然共感はできねーけど昴ってクッソ面白いやつじゃねーか(身近にいても友達にはなりたくないけど)。って感じ。
だから俺tueeeにならない
さて。この「読者突き放し」と「作中に共感者なし」状態。これこそが、この漫画のとても優れたバランス感覚じゃないかなと思う次第でして。これがあるから『昴』はおかしな俺tueee作品にはならないんだな。
うん。じゃあそもそもおかしな俺tueeeってなんだろうかって話。
ざっくり挙げてみる。
- 主人公が作中ぶっちぎりで最強(これはわかる)
- 屁理屈めいた強さでなんかずるい、納得できない
- 自分の強さを鼻にかけない態度、が逆効果
- 周囲のキャラがみんなして主人公を絶賛
こんな感じだろうか。まーろくなもんじゃないね。ろくなもんじゃないとこを挙げたんだけども。
それでは、『昴』が取ったバランスってなんですかっと。
まず強さの理由。これは才能です。
いや、実は昴も幼い頃から死ぬほど練習してて作中にもそんな描写がちらほらあるんですよ。でも、才能です。昴が怪物なのは才能のおかげ。
そんなのずるいだろ納得できないと思うかもしれないが、そんな事にはならないのがこの漫画の面白いところ。どういうことか。昴はそのとんでもない才能をもってしても、辿り着けないかもしれない領域に挑戦しているんだよな。
とんでもない才能という力に対して、目標の大きさが実にバランス良く設定されている。というか、そう見えるように演出されているんだな。上手いんだ。
そしてその才能、これでもかと言うくらい鼻にかけます。バレエ団の仲間に対して「こんなこともできないのかよ」なんて、平気で言うし。バレエの才能については「誰かより劣っているかもしれない」なんてほとんど考えない。ほとんどね。
この傲慢ぶりが危なっかしくて、自分の才能にちょっとでもケチ付けられたりすると、すぐ激昂するし、挙句にはぼろぼろ涙流して泣いちゃったりする。
天才だけど人間的には未熟で、全く完璧ではない。むしろバレエ以外は欠点だらけ。そして「そんな所がすばるの良い所だよね」なんて言ってくれるお友達キャラは皆無だ。やったぜ!
そう。誰も昴の事を手放しで称賛なんかしやしない。いや、昴の才能すげー!流石ー!というフェーズはね、あるにはあるんだよ。でも大体その先まで行ってしまうんだ。前段で書いた通りだけど、大体「こいつやべーやつじゃん」まで突き抜けてしまう。
天才だから理解されない。恐怖の対象でさえある。だが、当の昴はそんな事まったく意に介さない。周囲は手放しで昴を称賛したりしないが、誰よりも昴本人が、自分の才能を信じまくってる。
そして、感情移入を放棄した読者もまた、いつの間にか昴信者の一人になっている。これが恐ろしい。
そこまで行った読者は、もう昴を人間として見てないんだ。見た目はすごく可愛い美少女なのに、もう全然人間じゃない。トップバレエダンサーという怪物として、彼女を捉えている。でなければ、この漫画を心底楽しむ事はできないし、曽田先生の狙いもその辺にあったんじゃねーかと思ってる。
バレエとかいう、頭のおかしい怪物だけが輝ける世界。その怪物=天才とはどういう生き物なのか。そんなところを描き切った漫画じゃないでしょうか。
そしてMOONへ
さてさて。ここまでたらたらと書いてきましたが、プリシラというキャラについては一切触れずに来ました。いやね、いるんですよ、プリシラとかいう昴以上のバケモノが。ただこいつに触るの面倒臭いなーと思って無視してきました。
最後にちょっとだけ。このプリシラおばさんが出てきた辺りで『昴』の潮目がちょっと変わるんすよ。これまで全く不在だった、昴のライバルになり得るキャラですからね。ライバル、または、越えるべき壁って感じか。そんなのが出てきちゃったもんだから、もう怪獣大戦争ですわ。ゴジラVSキングギドラっすよ。
このプリシラ編(というかボレロ編)、クライマックスとして申し分ない盛り上がりだし個人的に大好きだし最高なんだけど、一方では、やりすぎちゃったよなーとも思う。ちょっとスピリチュアル行っちゃったというか。超能力勝負みたいになっちゃったというか。
地味に絵が荒れてしまっているし、この辺で曽田先生相当しんどかったのだろうなーと思います。実際、ボレロ編の後とってつけたような恋愛話をやって連載終了、そこから約5年間『昴』から離れちゃうものね。
そんで、その5年間の空白を経て連載されたのが続編『MOON』。そのまんま地続きの続編で、主人公も昴。
この『MOON』ね、出てくるキャラクターが全員天才なんすよ。全員昴級。全員バケモノ。なので1匹1匹のバケモノ度が『昴』の昴に比べるとちょっと薄れるかなぁ。プリシラおばさんだけはやっぱり全開でチートかましてくるんだけどさ。
ただそうして怪物度が薄れた昴が見せる人間味がね、とてもいい。クライマックスに向けての流れは感動間違いなし。『昴』は『MOON』でキチンと完成する。必読だぞ。とかいちいち言わなくても、『昴』読んじゃったら絶対『MOON』まで読むことになるんだよ。面白いから。
それでは今日はこの辺で。ありがとうございました。
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