2013~14年頃だろうか、巷では『聲の形』旋風が吹き荒れていた。
どいつもこいつもオススメ漫画を聞けば口を揃えて『聲の形』。ええ、お前らそんなにイイハナシ好きだったの。24時間テレビとか毎年欠かさず見ちゃう感じですか?
俺はと言うと。少年漫画で重苦しいヒューマンドラマとか、あんまりなあ、と冷ややかな眼で眺めてた。なんかほら、色んな人が色んな事言ってて面倒臭かったし。
俺は!俺を!殺したい!2013~14年頃の俺の馬鹿!
そんなわけで、今更ながら恥ずかしげもなく『聲の形』の事を書きます。良いものはいつになっても良いよね。うん、これは良い作品ですよ間違いない。まだ読んでないとかちょっとどうかしてますよ本当に。
と言っても。障碍者がどーのとかいじめ加害者やら被害者がどーのとか、そういう感想はきっとそこら中で語り尽くされているので、ここでは全部無視します。みんなもうそれなりに自分の意見とか感想とかあるでしょ。好きにしなよ。
この作品は天才が魂を削って描き切った傑作です。はい、感想終わり。
もうそんなんで良くないですか?批判意見がぽろぽろ出てくるのもわかるけどさ。
一言書き加えておくと、色んな意見が出てくるとか作者はきっと織り込み済みで、それでも描かなきゃならない作品だったんじゃねーかな、と、適当にぐぐったらその辺の事情みたいなものも出てきますな。
はい。そういうわけでですね。ここでは軽い感じで、あまりヨソ様で触れられてなさそうなトコをつまんでいけたらと思っています。みんなのスノビズムをくすぐってやりたい。
水のはなし
まず早速、1巻第1話から。小学生時代の石田が川に飛び込もうとするシーン。石田のセリフ。
「痛いかどーかなんて飛び込むまでわかんねーだろ」
もうね、これがこの漫画の全てっすよ。テーマを最初にどーんと言っちゃうパターンのやつ。全7巻というそんなに長い作品ではないとはいえ、最初から最後までこのテーマがぶれないのが良い。
で、このシーンで川に飛び込むというのがまた、結構面白いなと思った。「川に飛び込む」行為が「痛いかどーか」は、やってみないとわからない、っと。初っ端からメタ飛ばしてきてる感じ。
あとこのシーンもう1つ面白くて、川に飛び込んだ石田は友人に「痛かった?」って聞かれて「全然!」って答える。そして石田の後に続いた友人たちは「ちょっと痛ェじゃねーかコノヤロー」となる。
何気ない、ともすればちょっとした日常のギャグシーンだけど、これもなかなか象徴的なやりとりに見えなくもない。
その後、友人(島田)が川飛び込み遊びから抜ける。このシーンで初めて登場するのが、鯉。
[大今良時 聲の形1巻 講談社より引用]
去ろうとする島田を苦々しく見つめる石田の傍らに2匹の鯉。鯉かこれ?知らんけど、魚だ。鯉って事にしておこう。
ここは親切な説明シーンで、この2匹の鯉は石田を見て「おい、俺たち2人だけになっちまうぜ」とおどおどしてるように見える。
つまり、この漫画に出てくる鯉(みたいな魚も含めて)は、登場人物の投影、心、精神みたいなもんですよって言ってるんじゃないかなっと。そういう説明というか、この漫画のルールを示しているシーンだよきっと。わーいとってもわかりやすいねー親切だなー。本当かよ。
そんで、その鯉が住んでる水場が社会、つまり他人の集合体を表してると思うわけなんだが、ここまで言うと冒頭のシーンの何が象徴的かわかってくれるんじゃないでしょうか。
冒頭時点の石田は、他人を本質的には怖がっていない。社会に飛び込むのが痛いかどうかなんて知らねーし、実際飛び込んだけど全然痛くねー。これが物語冒頭の石田。
小学生の狭い社会で生きる石田はまだ痛みを知らない。敵は退屈だけ。って状態。まー小学生男子なんて割とそんなもんだよね。本当に退屈で、大魔王が世界征服でも企めよって毎日思ってるよな。
で、その後なんやかんやありまして。
2巻。高校3年になり、西宮と再会する石田。そして「ああ…だめだ…まだ…足りてない」というシーン。これいじめ加害者の心の傷を描いた結構エグいシーンだなと思った。こういうのってある意味、心の自傷行為みたいなもんで、自分を精神的に追い込むのが気持ち良いって状態にも見えるかな。
いやそういうのはどうでもいいんだ。そういうんじゃなくて、ここでも鯉が出てくんだよ。「罰が…死ぬための資格が…」という石田のモノローグをバックに、鯉とローファーがね。
ローファーは単純に自殺のメタファーだと思う。で、そこに至るには、まだ罰が足りない、と。もっと鯉を傷つけなくちゃならない。とかなんとか。そういうモノローグなんだろう。
パン係と鯉
そしていよいよ始まるパン係。やったぜ!
せっせこせっせこ鯉にパンをあげる西宮マジ可愛い。
彼女がパン係を続ける理由、それは「必要とされるのが嬉しい」から、だそうで。
[大今良時 聲の形2巻 講談社より引用]
ここの手話、3コマで表現されてますが、その中の1コマ、妙に西宮の表情が固い。だから、と言うには少々根拠に乏しい感もあるけど、俺は多分これ本当の気持ちじゃないんじゃねーかなって思った。
いや、嘘ではないんだろうけど本当の気持ちはもう1つ別にあるんじゃないのって感じ。「必要とされるのが嬉しい」以外の本心が、深層心理にあるような気がする。多分西宮は、自分の為にパン係をやってんじゃねーかな。
実は、作中で鯉にパンをあげている所を描写されている人物は2人しかいない。1人は西宮。もう1人は佐原だ。
彼女らの共通点を考えてくと、西宮がパン係を続けてる理由もわかる。というか、そもそもパンって何なの?っていうトコまでわかりそう。
西宮と佐原が共通して持ってるパーソナリティ、一言で言っちゃえば、内省的である、という事。うじうじしやがってナメクジかてめーは、っていう意味じゃない。なんつーのか、2人とも今のままの自分が好きじゃないんだね。そしてそれは自分自身に原因があると思っている。
お、それって石田もそうなんじゃね?と思う人もいるだろう。うん、石田もそういう感情をずっと持ってるけど、あいつは鯉にパンをあげたりしない。何故か。
前段で書いたけど、この作品の鯉って人の心みたいなもの。言っちゃえば自分自身の投影。その鯉にパンをあげるっていうのは、自身の精神的な成長を願っているという事じゃないかな、っと。西宮も佐原も、自分を変えたいと思ってんだな。
石田は、と言うと。西宮と再会し、ベランダから落っこちるまで、石田は人生のほとんど全てを西宮に捧げるつもりでいた。最悪な過去、上手くいかない現状、そういうのに追い込まれて心底自分の事が嫌いで嫌いで仕方がない状態。だけど、自分の成長は願っていない。とにかく西宮が笑っていてくれればそれで良いっていう。
だから石田は鯉にパンをやらない。自分の事なんかどうでもいいから。
そんなこんなで、パンをあげたりあげなかったりしながらお話は進んでいくわけですよ。どうでもいいけど永束君って本当最高だよね。大好きだよ。
そんで鯉はどうなんの
ええ、鯉の事、パンの事は、大体こんな感じでどうでしょうか。ご納得いただけたでしょうか。
それではね、鯉の見せ場、6巻のこのシーンを触ってコイバナは終わりです。
[大今良時 聲の形6巻 講談社より引用]
1匹の鯉がフォーカスされ、徐々に影となり去っていくという。すごく象徴的というか印象的というか、重要なシーンっぽいよね。でもちょっと待って。この鯉って、誰なの?
俺は正直、パッと見た時こいつが何を意味しているのかよくわからなかった。ページをめくると、石田が目を覚ましやがるので、ともすれば「西宮の心の叫びを鯉が石田に届けた」のか、とか思っちゃう。なんかこう愛の奇跡みたいな。はーっ笑っちゃう。
まー、それならそれでもいいんだけどさ、なんかそういう感じじゃないんだろうなこの漫画は、と思いまして。もっとこう、仕込んでると思うんだよ。
で、素直に考えたら、あの鯉はその場にいる唯一のキャラ、西宮の現し身じゃないかな、っと。
この鯉のシーンの前、6ページに渡る無音の描写が続く。西宮の、回想と慟哭ね。
この橋での慟哭が、西宮のどういう感情だったのか。それをちゃんと掴まないと、鯉の事もわからない気がする。
なんか、鯉が主役みたいになってんな。おかしいね。気にしたら負けだよ。
はい。ずばり、あの慟哭は西宮の心の底からの謝罪だったと俺は思います。適当に(でもきっと歯を食いしばりながら)ノートに書いていたごめんなさいじゃなくて、本当に心底の。
後悔とか、溢れんばかりの悲しみとか、そういうのもあろうが。きっとその手の、ネガティブな感情だけではないと思うんだ。
と言うのはね、西宮の鯉が出てくるのはここが最後なんだよ。それってつまり、西宮が前向きに成長したシーンになってるはずじゃん。そう思いたいじゃん。思えよお。
ここで西宮は、自分のやった事にちゃんと向き合ったんだよ。それができたから、あの鯉は消えたんだと思う。西宮が1つ壁を乗り越えた証というか。
自分の罪に正面から向き合うっていうのはさ、しんどいものね。でもそれが西宮には必要だった。ここでそれができないと、西宮は石田みたいになっちゃう。
許されるために自分を傷つけ続ける石田病。そこに足を踏み入れかかってた西宮が、一皮剥けるための儀式。それがこの橋での慟哭=罪と向き合う事だったんじゃないかな。
と。そんな感じでね、色々なんやかんや投げかけてくれた鯉さんでしたよ。
最終7巻、高校時代のほぼラストシーンが鯉さんの最後の出番になります。そこでの石田、なにげない一言なんだけど。
「ここの鯉でっかくなったなぁ」
本当にね。良かったね。おじさんは嬉しいよ。
それでは最後に表紙にちょっと触れて終わりますぞ。
表紙にも仕掛けられてんぞ油断するな
結構面白いですこの漫画の表紙。石田と西宮の立ち方などなどに注目していきます。
はい1巻。
石田は完全に外側を向いてるね。まだ西宮と精神的に向き合うつもりなし。そりゃそうだ。
2巻。
まーだちょっとぎこちない。手がね、二人とも遠いしね。西宮なんか後ろで組んじゃってるもんね。でも1巻とは石田の心が変わっているのがよくわかる。
ほい3巻。
とうとう石田の目線が西宮を向きました。しかし手の感じは2巻と変わらず。3巻と言えばラストで西宮の告白がありましたね。なんか雰囲気出てます。にっこにこしやがってちきしょー可愛いじゃねーか。
4巻。
おいちょっと待て石田。何があった。遊園地にね、行ったんだよね。どんまい。ちなみに手を首の後ろにやる仕草ってのは、不満とか退屈をあらわすらしいよ。は?石田?退屈とかどういう事?死ぬの?
西宮が手をぎゅってしてるのがなんとも。植野にひっぱたかれたりな、おばあちゃん亡くなったりな、色々大変だなお前も。
5巻。
パッと見、とってもいい雰囲気の二人ですが、読んだ人には痛々しい表紙にしか見えない。石田の笑顔も嘘くさく見えるし、西宮の泣きそうな笑顔が悲しい。西宮の手は固く結んだままだね。
どっじゃーん。6巻。
水中に立つ西宮一人。儚げでもあり、何かしらの意志みたいなものも感じる表情。6巻は西宮はじめ色んなキャラの心情が燃えまくる。その表紙が水の中を描いてんだから、うん、そういう事なんだなってなりますな。良い表紙。
そしてラスト7巻。
泣けるよね、やっと二人はお互いに向き合ってんの。西宮の手もぱっと開いた。でも、あ?石田?なんでポケットに手突っ込んでんの?もう1回飛び降りるかお前?
これ、1巻と同じなんだよね。ポケットに入れてるどうこうより、そっちのが重要な気がする。
小学生の石田は本当にどうしようもない事をしでかした馬鹿だったけど、反面、西宮と出会うまでは愛すべきバカガキだったように思う。植野に好かれてたりな。くそっ。そういう良い所がさ、戻って来たんじゃねーの、って思いました。はい。
いじめ被害者側になって、加害者だった自分に気付き、すっかり自分を嫌いになった石田少年が、自分の可能性を信じてあげられるようになった。そういう自信みたいなやつがね。1巻と同じ手をさせたんじゃないのかね。
表情は本当に自然な笑顔で二人とも最高だな。よかったよかった。本当にいい話だったよ。何年かしたらまた読み直したい。
そうだ。2016年から同じ作者、大今良時先生の『不滅のあなたへ』の連載が始まってるとの事で。マンガ大賞2018にノミネートされてたりで、知ってる人も多いんじゃないかなと思います。こっちも注目ですね。
それではこの辺で。ありがとうございました。
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