『寄生獣』をざっくり語ろうと思っていたのになんでこんな結末に

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漫画の話をするのが好きだ。日本の将来とか仕事の話とか、青春時代の思い出とか、そんな話よりも漫画の話をしている方がずっと楽しい。いい大人がこんな事言っちゃってるのだから、日本の将来は明るいに決まっているよね。そりゃあ世界も羨むよ。

自分で漫画の話をするのも楽しいんだけど、だからこんなブログやってるんだけど、人の話を聞くのは実はもっと好きなんですよ。

本当にありがたい世の中で、YouTubeとかで死ぬほど見られるじゃないですか、そういうの。すごいよね。タダだし。

最近よく見るのが、岡田斗司夫氏とか山田玲司先生の動画。このブログは本当に色んな人から影響を受けてるけど、このお二方からは結構色々食らってるなって思ってる。

なんでこの人たちの話にそんな引き込まれるのか。単純に知識量が凄いし話も上手いというのは当然あるんだけど、もう一つ、自分とは世代が違うってのが面白いんだと思う。

このお二人を同じ世代には括れない(岡田氏は58年生まれ、山田先生は66年生まれ)けれども、82年生まれの俺から見たら、同じく上の世代だ。岡田氏に至っては親の世代にすら近い。

で、敢えてお二人の事を「この世代」と言わせてもらうけども、この世代の方々でなければ語れないリアルさってあると思いませんか。その漫画が生まれた時代を生で経験してるか、というリアルさ。

そのリアルさ、自分たちとの世代差があるから、この世代の話はより面白い。自分の知らない世界だからね。

「戦争を知らない老人たち」じゃないけど、「手塚治虫を(リアルタイムで)知らない漫画好き」ばかりになっていくわけでしょう、これから。それは仕方のない事だし、別に悲しくもないんだけどさ。

ただ今のうちに「当時はこんなだったよ」という話をね、なるべく俺たちも知っておきたいな、と思ったり、思わなかったり。

どうしよう。冒頭のはずなのに思いっきり話が逸れてる。

いやね、漫画の話しようぜって時に、手塚治虫ってやっぱ絶対どこかで避けて通れなくなるじゃないすか。俺なんか全然世代じゃないけど、それでも何作かはやっぱり読んでるし、好きな作品もたくさんありますよ。

『ブラックジャック』とか『どろろ』とか『きりひと賛歌』とかね。『奇子』とか大人になってから読んだけど衝撃だったし。でもやっぱ一番好きなのは、多分『火の鳥』だろうなと思うんだけど。

みんなご存知『火の鳥』ですが、一応ざっくり紹介すると

手塚治虫が漫画家として活動を始めた初期の頃から晩年まで手がけられており、手塚治虫がライフワークと位置付けた漫画作品[3]。古代からはるか未来まで、地球や宇宙を舞台に、生命の本質・人間の業が、手塚治虫自身の独特な思想を根底に壮大なスケールで描かれる。物語は「火の鳥」と呼ばれる鳥が登場し火の鳥の血を飲めば永遠の命を得られるという設定の元、主人公たちはその火の鳥と関わりながら悩み、苦しみ、闘い、残酷な運命に翻弄され続ける。

Wikipedia 火の鳥(漫画)より引用

というやつ。

ちょっとだけ補足すると、1作目が大昔、2作目が遠い未来。3作目が中昔で4作目は割と未来…みたいな感じで、過去と未来の話を交互にやりながら、徐々に現代に近づいてくるってスタイル。

結局、現代編に辿り着く前に手塚治虫は鬼籍に入られてしまうんだけどね。1989年。悲しい。

さてでは、俺たち世代がド真ん中で語っていきたい漫画ってなんだろう、という話だ。ようやく本題に入れるぞ。

俺たち世代の漫画と言えば。『DRAGON BALL』、『うしおととら』、『ジョジョの奇妙な冒険』、あれやらこれやら。いくらでも思い浮かぶよね。これはこれで、幸せな世代だなと思うよ。本当に。

で、名作は数々あれど、やっぱり絶対外してはいけない作品ってあると思うんだ。売上とか話題性とか、そういうの抜きにして、作品の力がシンプルに凄いやつ。大多数の人が認める「名作」と言って差し支えないタイトル。

はい!『寄生獣』ですやったー!『寄生獣』の話しようぜ!

あれ『寄生獣』って82年生まれでド真ん中なのだろうか。うるせーなバツンするぞ。

俺が読んだ『寄生獣』ってこんな感じ

よっしゃ『寄生獣』触ってくぞーと意気込んでみたものの、ちょっといくつか思うところがある。聞いて。

みんなさ『寄生獣』絶対好きだよね。そんでこの作品って、テーマがかなりはっきりしているし、それについての答えみたいなものも、既に自分の中にあると思うんだ。

今更俺が『寄生獣』はこんな作品です!この漫画で言いたい事はこういう事!ってやっても、ねえ。知ってるし。なんかびっくりするような事ないし。既に諸先輩方が、色んなとこでわかりやすくまとめてくれてるし。クソ、後発組のつらいところよねこれは。

なので、このブログでは『寄生獣』を全体的に眺めるのはやめて、ちょっと細かい所に触れてみようかなと思う。

作品の抱えているテーマとは、ちょっと離れてく事もあるだろうけど、そこはそれよ。細かい事を気にする奴は大安吉日に風邪をひけ。長引け。

そんな感じでやっていこうと思うけど、とは言え1発目なのでね。今回はさらっと外側を撫でる感じでお茶を濁す。濁り記事になるよ。ごめんね。

あれよ。何年か前に読んだきりでちゃんと覚えてないや、みたいな人の為に、って事にしようよ。優しさでできているよ。

はい。

それではお馴染みの、軽く時代背景から。

連載開始が1988年。ギリギリ昭和。同時期開始の漫画で言うと『ジョジョの~』とか『3×3EYES』とかかな。

作者は岩明均先生。『寄生獣』の前に『風子のいる店』というちょっとした日常もの漫画を連載してました。『寄生獣』とは違って地味な漫画だけど、普通に面白い。ミンチ死体が物干し竿に吊るされてる日常、とかそういうのはないです。

『寄生獣』後は『七夕の国』をやって、他にもいくつかの短い作品を発表、現在『ヒストリエ』連載中。『ヒストリエ』最高だよね。大好きだよ。『七夕の国』も名作だし。『雪の峠』『剣の舞』も面白い。確かこの2作品はまとめて1冊になってたと思うので、是非。

はい。では唐突ですが、ここで作者岩明先生の「『寄生獣』を振り返ってコメント」を引用。

寄生獣の開始・第一話を書いた頃、世間は現在ほどエコロジー流行りではなく、環境問題についてもさほど騒がれてはいなかった。つまり「愚かな人間どもよ」と言う人間が滅多やたらにはいなかったのだ。だから第一話の冒頭では人類の文明に対する警鐘という雰囲気で、すんなり始められたのだが、世の大多数の人々が同じようなことを言い始めてくると、今度は妙な気になってくる。人と同じことを作品内で復唱するのが何やら気恥ずかしいのだ。

寄生獣 10巻より引用

これ『寄生獣』連載終了後の作者コメントなんだけど、当時の雰囲気を思い出すと本当によくわかる話で面白い。

確かに90年代も中頃になると、猫も杓子も環境がどーだの地球がやばいだのそんなのばっかだった。はいはい全部人間が悪いんでしょごめんねって感じ。そういえば『スプリガン』も割とそんな雰囲気で終わってたな。

環境問題をテーマにした作品って言うと他には、真っ先に思い出したのが『風の谷のナウシカ』。これの漫画版が82年開始、映画は84年ですって。

岩明先生のコメントを読む限り、ナウシカは割とこのテーマの先駆けみたいな感じだったのかな。まあいいやその辺の話はどうでも。

この環境問題テーマ問題、『寄生獣』にとっては本当に幸運な事だったなあと思うんだよ。タイミングの話だけど。

もし『寄生獣』が「愚かな人間どもよ」って話で終わっていたら、こんなに後年まで語り継がれる作品にはならなかったんじゃないかな。精々「人間の顔がバカッて開いてバケモノになるグロ漫画」みたいな評価で終わっちゃった気がする。『ヒストリエ』も生まれてなかったかもしれない。

ええ、そんな感じでですね。「ここしかない」って時代に『寄生獣』は生まれました。本当に良かった。それでは『寄生獣』ってどんな漫画だったっけ?という話。

乱暴な言い方をすれば「人間って何なの?」って問いかける漫画。こんなの、古今東西全ての創作品におけるテーマなんだろうけどもさ。『寄生獣』は割とこれを、直球で投げてくる。

なんだけども、岩明先生の中では「色々こねくり回したけど最終的にはこんなテーマになりましたよ」みたいなニュアンスなのかもしれない。上記したものと同じ作者コメントにこうある。

寄生獣の物語は開始から終了まで、まずもって計算どおり……と言いたいところだがそうでもない。

物語終了の予定が、わずか三回にして終わるところから、単行本にして三冊分、いや五冊、七巻で終わり、いやいや九巻……で結局十巻まで延長を重ねたことがまず一つ。

そしてストーリー内容にも当初の予定から変更したことがいくつかある。その代表的なものが、最強の敵「後藤」の最期の場面だ。

寄生獣 10巻より引用

まあまあ。こんな経緯があったようですっと。ただ完成した作品を読んでみれば、強力なテーマ性(人間とは何か)を持ったストーリーだったと感じられるし、それに対して提示された答えも納得できた。

うん、納得できたと思うよ。思うけど、じゃあ『寄生獣』で言いたかった「人間の形」ってどんな?ってきかれると、とても困る。一言では全然言い表せられないよこんなの。なんとかひねり出すとしたら、上記の作者コメントにもある「後藤の最期」、これが割とそれに近いのじゃなかろうか。

後藤の最期、つまり「殺したくないと思いながら、涙を流して後藤(野生生物)にとどめを刺す新一(人間)」の姿ね。他にもきっと言いたい事はいくつかあるんだろうけど、これが一番大きな答えの形って事でどうかなにとぞ、ひとまずお納めくださいよろしくお願いいたします。

系譜的な話をしてみようぜ

もしも『寄生獣』が「愚かな人間どもよ」ラインを辿っていたら。普通にありえた世界線だけど、そうなったら名作じゃなかっただろうねという話をちょっとした。

うん、確かに恐らく今日語られるような名作にはならなかったとは思うけど、もしそうなっていたら『デビルマン』フォロワーの1作品としてリストアップされてたかもしれないなって思うのよ。

と言うかね、そうでなくてもこの作品、がっつり『デビルマン』の系譜に乗っかってるよな。いや「愚かな人間どもよ」の系譜ではなくてね。もっと大きな括りとして、つまり「人間と人間でないものの対比」系譜。例えば

  • 『デビルマン』
  • 『ジョジョ』1部、2部
  • 『幽遊白書』始め冨樫義博作品
  • 『うしおととら』、『からくりサーカス』
  • 『東京喰種』

この辺りのライン。人間ではない知的生物(大抵人間とは利害面で対立している)を、人間のすぐ側に置いて描く事で、「人間とは何か」っていう命題に触れる系のやつ。ほらほら『寄生獣』のテーマそのものじゃないですかやったぜ。

テーマの話は前段でやったからもういいや。系譜の話。

『デビルマン』と『寄生獣』ってさ、ちょっと似てる所があるよね。主人公が人間と非人間の中間的存在、とか、人間社会に人間と同じ姿の化物が潜んでる、とか。作中で最も道徳的に非道な存在が、人間側のキャラクターだとかね。

『寄生獣』作中にこんなセリフがある。前段で引用した岩明先生のコメントによると物語終了の予定だった第3話。新一がミギーに対して「悪魔……!」と言い捨てたのを受けてミギーの返し。

「シンイチ……『悪魔』というのを本で調べたが……いちばんそれに近い生物は やはり人間だと思うぞ……」

これは『デビルマン』における「人間の本性こそが悪魔だったじゃねーか」に通じる気がするけど、なんか違うような気もする。『デビルマン』では「一皮剥けば人間は悪魔(ただしそうでない人間もきっといる)」、ミギーが言ってるのは「人間という種が地球上で最も悪魔と呼ぶのに相応しい生物」

この違いが『寄生獣』って作品の特徴かなーと思うですよ。『デビルマン』的な系譜に乗って置きながら、というか、『デビルマン』ととても良く似た構造を取り入れながら、終わってみれば全然違う世界になったのも、この違いが大きかったのでは、と。この辺の話はまたいつか。

さらっと撫でるつもりが、なんか随分長くなってきてしまった。

もうちょっと系譜の話とか

えっとー最後にもう1つ、こんな系譜にも乗っかってる気がするという話。ずばり『火の鳥』ラインです。そんな事だろうと思ったとかね、言っちゃう人はね、すぐ旅に出てください。可愛げを探してきて。

うん。まああれですよ。要するに「人間って何ですか」系の、『デビルマン』とは別のラインね。どの辺が別なのか、はちょっと後述。

まあとにかく『寄生獣』は完全に『火の鳥』ラインに乗ってるんだ。

ただこの系譜、俺が不勉強で申し訳ないのだけども、あまり他の作品が思いつかないんだよな。

精々『不思議な少年』『不滅のあなたへ』くらいか。他にこの系統の漫画、あれば是非教えて欲しい。好きなんだ、こういうの。

『不滅のあなたへ』については、この記事を書いている現在(2018年11月)まだまだ連載中なので、ちょっと置いておくとして。

『火の鳥』と『不思議な少年』は、「人間とは」ってテーマに対して色んな答えを出してると思う。

どちらの作品も、様々な舞台(時代、場所、人物の相関)を用意して、そこで浮き彫りになる人間の姿・本質めいたものを多様に描いてる。そういうやり方で人間を表現してる。

うん、そりゃそうなるよって思いました。「人間とは」なんてさ、そんなよくわからんものをテーマにしちゃったら、1つの流れの中では絶対描ききれないよね。

だから、『寄生獣』で示した人間の姿だって、1990年代の日本における「人間の有り様」の一つに過ぎないんだよなっと。

いや、そこで示された答えはとても丁寧に積み上げられたもので、きっと普遍性のあるものだと、82年生まれの俺は2018年の今でも思っているんだけどね。

それで、もしかして、と、うっかり考えてしまったのだけども。

『寄生獣』は『火の鳥 現代編』だったんじゃねーか、って事で、どうでしょうかみなさん。

ミギーは、火の鳥だったんだよ。ああほんと、心に余裕(ヒマ)がある生物 なんとすばらしい!といったところで今回はおひらき。

以上でした。ありがとうございました。

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