みんな本当にジョジョ好きだよね。SNSなんかで「ジョジョの良さわかんない。絵がキモい」とか言いようものなら、四方八方から色んなもんが飛んでくるご時勢。
最早ネット上にジョジョアンチが安心して息を吸える地はない。ジョジョこそが絶対神、荒木は吸血鬼。アニメしか見た事ない?死ね!無重力状態で体中の血液が沸騰して死ね。
でもちょっと待ってほしい。君たちは本当にジョジョの奇妙な冒険が好きなのだろうか?
君たちはジョジョの何を知っている?どうせあれでしょ。ジョジョ立ち~とか、メメタァ~とか言って喜んでるだけでしょ。いますよねそういう人。
というわけで今日はジョジョを1部から順番に、だらだらと眺めていこうと思います。
連載開始当時のジャンプ界隈
まずはここから始めないとお話にならない。しかしまあ皆さん賢明で博識、漫画の事なら鳥獣戯画から『ONE PIECE』までありとあらゆる知識をお持ちであろうから、退屈なら飛ばしてくれて一向に構わない。
あ、読むんですね?そういう人、大好きです。
連載開始は1987年1・2合併号。主な連載作品は『DRAGON BALL』、『北斗の拳』、『キャプテン翼』、『魁!!男塾』、『聖闘士星矢』、『キン肉マン』、『CITY HUNTER』辺り。
ただ『キン肉マン』はこの年、『北斗の拳』と『キャプテン翼』は翌年に連載終了となる。いわゆる第1期ジャンプ黄金時代の終わりかけ。言い方を変えれば、世代交代のちょうどド真ん中と言えるかも。ジャンプ黄金期については人によって考え方違うんで、また別の機会にゆっくり。
しかしそれにしても恐ろしいラインナップじゃないですか。人気のピークが過ぎていたとは言え、レジェンドと言って差し支えない『キン肉マン』、『北斗の拳』が健在。後に653万部時代を牽引する『DRAGON BALL』も始まってる。よく生き残ったなジョジョ。
そう言いたくもなるのがこの第1話。主人公のジョナサンがやった事と言えば、愛犬ダニーを膝蹴りでぶっ飛ばされて「なっ!何をするだァーッ!ゆるさんッ!」って叫んだだけ。まあ、ある意味伝説にはなったけど。本誌でもこの誤植そのままだったんだろうか。
そんな感じで始まった俺たちのジョジョですが、もうちょっとだけジャンプの話を。当時のジャンプ誌面を見ると、今とは明らかに毛色が違うんですよ。毛色っていうか、毛量。もっさもさ。とにかく濃い。毛深い。絶対臭い。
『北斗の拳』を筆頭に、『CITY HUNTER』、『魁!!男塾』、『こち亀』、『赤龍王(本宮ひろ志)』……。絵が濃い。線が多い。『銀牙-流れ星 銀』に至っては犬だからな。そりゃ臭いよ。
これがこの時代の、一つの流行りだったんだと思う。男臭い絵柄。いわゆる劇画調の隆盛。上に挙げたやつ以外でも『ブラックエンジェルズ(81~85年)』とか『ゴッドサイダー(87~88年)』、『コブラ(78~84年)』などなど。ジャンプだけでも濃いヤツがぞろぞろあった時代。
ジョジョも間違いなくこの流れに沿っている。その辺は『魔少年ビーティー(83年)』から『バオー来訪者(84~85年』への作画の変遷を見れば想像できると思う。
(ただ『ビーティー』以前の読切作品を読むと、『ビーティー』だけが異質で、『バオー』で本来の絵に戻したとも言えるかも)
でもね、荒木先生がジョジョでやりたかった事を考えたら、あの絵柄でやるしかなかったと思うんですよ。ジョジョは、ただの少年漫画ではないです。特に1部冒頭は全然少年漫画していない。
1部は少年漫画じゃあない
じゃあなんなんだよレディースコミックかよジョナサンとDIOがエリナを取り合うドロドロのやつか。違います。全然違う。1部は、映画です。ゾンビ映画です。
荒木飛呂彦先生が大の映画好きと言うのは有名な話。その中でもホラーとかサスペンス系の映画へ愛情は深い。
ジョジョの直前に発表していた『ゴージャス☆アイリン』では、ゴッドファーザーのワンシーンを思いっきりオマージュしたりしてるね。
唐突だけど、ここで32巻の作者コメントを見てもらおう。
荒木飛呂彦のこいつはビビったぜ映画ベスト10(もうやめてくれといいながらそれでもみたベスト10)
- 第1位 ナイト・オブ・ザ・リビングデッド
- 第2位 ジョーズ
- 第3位 ジョニーは戦場へ行った
- 第4位 ミシシッピー・バーニング
- 第5位 プラトゥーン
- 第6位 パピヨン
- 第7位 ハロウィン4
- 第8位 蝿の王
- 第9位 羊たちの沈黙
- 第10位 エイリアン
JCジョジョの奇妙な冒険32巻 作者コメントより引用
かなりバラエティに富んでいる。SFものから犯罪もの、戦争ものもあるし伝記ものまである。数あるジャンルの中で、荒木先生が一番「ビビった」のがナイト・オブ・ザ・リビングデッド。タイトルからわかる通り、ゾンビ映画だ。
以下、ナイト・オブ・ザ・リビングデッドの概要。
ジョン・A・ルッソの原作を、CM監督出身のジョージ・A・ロメロが監督した歴史的作品であり、ゾンビ映画の記念碑的作品である[1]。全編に横溢するカニバリズムや反モラル的ラストなど当時のタブーに挑戦した内容は、根底に流れる独自のヒューマニズムが制作当時の世相を反映しており、賛否両論あったがロングランを続けた。結果として、ニューヨーク近代美術館にも所蔵されるカルト・クラシックとなっており、アメリカ国立フィルム登録簿に永久保存登録されている。
Wikipediaより引用
これ、滅茶苦茶古い映画(68年)だけど、ジョジョ好きな人には是非一度観て欲しい。色々と感じるところがあると思う。ちなみに、監督のロメロという人は、知ってる方も多いと思うけど、あの「ゾンビ」の監督です。ゾンビ映画の生みの親みたいな巨匠。その最初期の傑作。
荒木先生がジョジョでやりたかったのは、そしてやり遂げてしまったのは、これだと思う。ゾンビ映画を始めとする、大好きな映画のエッセンスをもりもり盛り込んだ漫画。1部のストーリーは本当にそれが顕著です。少年漫画のそれとはちょっと一線を画している。とても映画的。
退屈なヒーロー・ジョナサン
ざっくり1部前半のストーリーを並べてみよう。
- プロローグ(ジョースター家とディオの繋がり)
- ジョナサンの人となり。
- 侵略者ディオ。
- 恋人、愛犬、父をことごとく奪われる。
- 吸血鬼ディオとの対決。
- 大団円。しかしディオは生きていた→第2幕へ
こんな感じか。
主人公の弱さ、大切なものなどなどをバサッと散りばめて、敵役にそれをガッツリ奪わせる。辛い経験を経て精神的に成長した主人公が困難を乗り越える。という話。
はっきり言ってよくある話だ。物語の基礎的な構造から1ミリも外れてない。ストーリーになんのケレンミもない。これが、実に映画的だと思うところ。
大体どんな映画にも画期的なストーリーなんてものは、ほとんどありゃしないんすよ。舞台背景とか設定が凝ってるだけで、ストーリー自体は王道。そういうのが一番面白いんだよね。多分、荒木先生にもそういう王道ストーリー愛好者って一面がある。
そんで、少年漫画のストーリーは往々にしてここから外れたがる。たがるんだよ。奇を衒おうとするっていうか。もしくは、この流れをとても短い周期で繰り返そうとする。前述したように「よくある話」になってしまう恐れ、そして(主に)週間連載という発表形式による弊害もあるだろう。「ヒキ」を細かく入れて続けなければならない、とかね。
でもジョジョは違った。王道ど真ん中ストーリーを採用した。しかしそれは、ある意味少年漫画への挑戦でもあったと思う。特に少年ジャンプへの。
だってね、1話のジョナサンみんな好きですか?格好良い!ってなりました?ならないんですよ。何かが始まる予感はあったけど、そんなの当たり前だしね。ジョジョの1話は予感だけで、実際何も始まってない。1話だけじゃなく、それが結構ずるずる続く。ディオにシビれたりあこがれたりはするけど、ジョナサンはなぁ。
結局主人公不遇の時代が5話くらいまで続いちゃうんだよ。『ONE PIECE』だったらゾロの回想まで終わって、なってやろうじゃねェか海賊に、とか言い出す辺りですよ。昔の『ONE PIECE』はテンポいいなぁ。
序盤をテンポよく、主人公は格好良く、それが少年漫画のフォーマット。特に少年ジャンプではダラダラした序盤は命取り。皆さんよくご存知の通りです。
ではなぜジョジョは王道な映画的ストーリー、そして退屈な序盤、でやっていけたのか。というか、やっていこうとしたのか。気でも触れたか荒木飛呂彦。いや、まあ、触れてたっちゃー触れてたよね。
まず荒木先生には自信があったんだと思う。ストーリーは王道でも退屈させない自信。裏打ちするのは、キャラクター造形の丁寧さだったり、独特な台詞回しであったり。ジョナサンが残念であればある程ディオが輝くなんてのは計算通りだろうし。
前作『バオー来訪者』でその辺の自信を付けたんだろうなきっと。実際、『バオー』は連載期間こそ短いものの、当時からかなり評価されてるんだ。89年にOVA化してたりね。
よくあるストーリーだろうが、退屈な序盤になろうが、それを補って余りある魅力が自分の漫画にはある、という自信。そして、丁寧に紡がれたキャラクターとストーリーがいよいよ加速した瞬間の爆発力。これがあったからジョジョ1部は生き残れたんじゃないかな。
映画から漫画へ
さて、ディオが石仮面をかぶり、燃えるジョースター邸での死闘があり、見事ジョナサンは勝利を収めるのだけど、1部はここで終わらない。むしろここまでがプロローグ。
この続き方なんかね、とっても映画っぽいなーって思うんだよ。大団円したと思ったら、倒したはずの敵が実はまだ生きてやがるぜ!ってやつ。2に続く!的な。
そして1部のここまでが、荒木先生があらかじめ用意していた話じゃないかなと思うのです。ここまでが計算通りというか。後のことは考えてないというか。ソースはない。全部俺の妄想だよ。異論反論はみそ汁の具になれ。
もちろん、ここから先のストーリー、設定(波紋とかね)なんか考えてはいただろうけども。ツェペリ師匠も最初から構想の中にいただろうけども。
いやね。前段で書いた通り、1部の序盤は映画がやりたかったんだと思うんだ。そうすると「波紋」とかいういかにも少年漫画的な要素は、ノイズになりかねねーな、と。だから出したくなかったんじゃないかなー。
そしてもし、荒木先生のやりたかった映画的な話が無事に完走できたならば、そこからこの漫画は、更に面白くならなくてはならない。「2は駄作、1で終わっておけばよかったのに」なんて事には、絶対にしたくなかっただろうしね。
という事で、少年漫画的な「波紋」は2の為にとっておいた起爆剤だったんだろうな、と思うです。
そして実際に点火してみたら、結構破壊力あるなこれ、っていうね。波紋が爆発して、ジョジョは映画から少年漫画にシフトチェンジしていくよ、という話でした。
波紋!それは少年漫画の力!
そんじゃざっくり続きのストーリーを。
- ツェペリ師匠登場。
- 波紋修行。
- ディオとの再会。
- タルカスとブラフォード。
- ツェペリとの別れ。
- ディオと決着。
- エリナと結婚。ジョナサン死亡→第2部へ
前段で「ここから少年漫画」になったよと書きました。違和感を覚えた方もいるかも知れないすね。むしろここからがゾンビ映画じゃねえの?っていう。
うん、わかるよ。グログロぐちゃぐちゃのクリーチャーが本格的に出てくるのもここからだしね。
それはとてもわかる話なんだけど、一応この記事ではお話の構造にフォーカスしてるので、そういう事です。難しい事はいいんだよ!感覚だよ。
いや待ってくれ適当に誤魔化した感があるけど違うんだ聞いてくれ。
ここからのジョジョは大体感覚で色んなものをねじ伏せていく。「なんかわからんがすげえ!」大体これ。いわゆる凄み。でもこれこそ少年漫画だよね。
ブラフォードの髪の件とか、一応それっぽい説明してるけど、よく読むと「は?」ってなるでしょ。でも普通に読んでたら、全然納得できちゃう。これが凄み。これこそがジョジョ。
ここからのジョジョは、ほぼこの勢い、凄みでお話を進めていく。皆さんご存知の通りだよ。これが少年漫画でなくて、何だって言うの。ちょっとゾンビが出てきたからって、映画呼ばわりしないでくれますか。
はい。そういう事でね。緻密に作り上げたストーリーラインからなる映画的な序盤から、勢い重視の少年漫画へ見事に変貌いたしました。いいですね。
いつの間にかジョナサンも立派な主人公になっているわけですよ。ウィンドナイツ・ロットでディオと対峙する頃には、もうみんなジョナサン大好きでしょ。
ちゃんと「ジョナサン死なないで」って思うようになってるはずですよ。
そんで物語のラスト、まんまとジョナサンは死ぬ。宿敵ディオの首を抱きながら。こんなの、これ以上ない完璧に美しい締め方じゃないすか。
これは1部だけじゃなく、ジョジョ全ての部に言えるんだけど、本当に終わり方が上手い(ローリングストーンは置いておく)。
その部がそれぞれ持っている雰囲気というか、匂いみたいなものを強烈に感じさせるラストばかり。多分その辺も意識してやってんだろうな。
まあそんなこんなで、1部はこんな感じ。
何かと敬遠されたり人気がいまいちな1部だけど、ストーリーの構造としては教科書みたいな緻密さがあるので、その辺が少しでも伝えられたらなあ、と。
2部以降はまた改めて。ありがとうございました。
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