お前らは何故『あしたのジョー』を読まないのか

スポンサーリンク

DQとかFFなんかの、シリーズが長く続いているゲームで遊んでると「最近のゲームはグラフィックばかり良くなって内容はつまらん、昔のゲームは良かった」的な事をぬかす老人が、どこからともなく必ず湧いてきませんか。

まーウザい。本当に鬱陶しい。心底。雪山で一人遭難して凍死寸前で救助されろ、クソッ。

どういうわけか我々は「古いものは偉い」と考えるクセがある。これは前述のようなゲームだけに関わらず、音楽や映画、そしてもちろん漫画でも、そういう論調があちこちで見られる。もしかしたら皆さんにも心当たりがあるかもしれない。

はい。今回の記事はそういうやつです。みんな昔の漫画をもっと読もうよ。という主旨。老害乙、OKその通りだ。よくわかってる。でも書かずにはいられなかったんだ。どうか許してほしい。

なるべく皆さんにご理解いただけるように書くつもりです。ここはひとつどうか、暖かい目で見てやってください。

昔の漫画っていつの漫画の事よ?

さてさて。一口に「昔の漫画」と言ってもこれがなかなかに幅広い。

人によっては『DRAGON BALL』も昔の漫画にカテゴライズされるだろうし。下手すりゃ『暗殺教室』とか『僕だけがいない街』なんかも「昔」とか言われそう。

その位に最近はムーブメントの熱し方・冷め方が早い。僕はついてゆけるだろうかこの世界のスピードに。

まあ人それぞれ思うところはあったりなかったりするでしょうが、この記事で言う「昔の漫画」は大体1970年代以前に連載開始されたものを指すことにします。大体、ざっくり。

1982年に連載開始された『AKIRA』以前の作品、って事にしてもいい。そんな感じの時代感でいきます。

一応、ふんわりとした理由はあるんすよ。50代、60代の方と日常的に漫画の話ってします?ってトコを踏まえてる感じです。つまり、40代くらいまでの人がリアルタイムで読んでいただろう作品は除外、したつもり。

でもまあこの辺のカテゴライズに大した意味はないので、ひとまず「ふーん」って思っててくれていいです。

さて、では、昔の漫画って例えばどんなのって話だ。

例を挙げればキリがないのだけど、とりあえず有名どころで

  • 手塚治虫作品
  • 『カムイ伝』
  • 『あしたのジョー』
  • 萩尾望都作品(『ポーの一族』、『半神』、『11人いる!』など)
  • 『デビルマン』
  • 『ベルサイユのばら』

などなどこの辺りかなっと。『キン肉マン』とか79年連載開始だけど、まだ続編連載中だし、40代でリアタイ世代いそうだし、外しました。あと『うる星やつら』も78年連載開始なんだけどね、高橋留美子があまりにも現役すぎるので、なんとなく除外。まあ適当よ。

藤子不二雄作品とか『ゲゲゲの鬼太郎』なんかは、原作読んだことなくても何らかの形で作品に触れてる人がほとんど(というか全くノータッチって人なんているのだろうか)だろうから除外。

そう。藤子不二雄は外したけど、手塚治虫は入れました。なんかねえ、何となくねえ。全く調べたりしたわけじゃないんだけど、手塚治虫作品1つも読んだことない漫画好きな人、って実はそれなりにいる気がするんだよ。うん。この話は長くなりそうだからやめよう。

という感じで。上に挙がってる作品は大体読んだぞ、って方はもうこの記事終わりです。ありがとうございました。今後ともご贔屓にお願い申し上げます。

昔の漫画が遠いワケ

じゃあ本題だ。なんで君らは昔の漫画を読まないのか。俺が愚考するいくつかの理由を挙げてみよう。

  1. 絵柄が古い。受け付けない。
  2. そもそも読む機会がない。話題に出ない。
  3. 今の漫画で十分満足している。

こんな感じだろうか。はっきり言って、どの理由もとても納得できるし、そりゃそうだよなって思う。というかね、こんな記事をブチ挙げておきながら、俺もそんなに昔の漫画をがっつり網羅しているわけじゃないのよ。ごめんなさい。

そう。これは、俺が昔の漫画をあまり読まない理由でもある。本当にすまんな。ただね、それって勿体ないよな、という意識もあるのですよ。だから書いてるんだけど。できれば貴方も一緒にちょっと考えてみて欲しい。

よし。じゃあ1から順番にやってこう。

絵柄が古い

いきなり一番の強敵。これは手強い。もう絶対これは覆しようがないんだよ。だって昔の漫画だもの。そりゃあ古いよ。これが一番の理由で昔の漫画を読まないんだ、って層には正直かける言葉が見つからない。

漫画の絵は段階的に、そして急速に進化していったと思う。大友克洋とか鳥山明とか、その辺の天才が大革命起こしたりね。近年ではパソコンの導入も結構影響あるんじゃないだろうか。

絵そのものの進化とは別の話で、流行り廃りもある。松田聖子のアイドル時代の映像を見て「顔は可愛いけど、髪型とか超だせえな」とか思った事はないだろうか。あれと似たようなもんだ。

こういった事は覆しようがない。「昔の漫画、絵は古いけどそれはそれで味があるよ」とか適当な事は言える。しかし見た目がまずけりゃ口に入れるのを躊躇うのが自然だ。仕方がない。

ここはもう、開き直るしかない。絵は古い。当たり前だろ。何十年経ってると思ってんだ。その古さを見て、漫画が歩んできた歴史をかみしめろ!次いくぞ。

読む機会がない

はい。よくわかります。当たり前だけど、昔の漫画はどの雑誌にも連載してないしね。本屋で新刊が平積みされる事もない。目に触れないんだ、タイトルが。

でもこれは、とても健康的で自然な事ではあると思う。業界の人だって新しいヒット作を産み出したいし、今漫画で生きている人たちの生活(売上げ)が何よりも大事だ。是非そうであって欲しい。

『BEASTARS』と『ブラックジャック』、後者の方がよく名前見かけるなー、では困るのだ。

そういう事情はある。しかし往年の名作が埋もれていくのは悲しいとも思う。思ってくれ頼む

何とかならんものかとモヤモヤしている所に一筋の光明が。きっと、こんなサイトを見てる人なら一つや二つは登録してるでしょ、無料漫画アプリさんです。

出始めの頃こそ知名度は低く、上手くいくのか懐疑的な意見もあったけど、今ではすっかり市民権を得ている。各出版社、かなり力を入れて運営していると思いますよ。

ただこれね、バランスが難しいのかなーともね、思うんですよ。ああいった無料系のアプリって、要するに「雑誌連載未満の作家」の為にあるようなもんじゃないすか。その多くは新人だよね。そんな人たちが、チャンスを掴もうとする場に、手塚治虫(いわゆるゴッド)なんかが降臨せしめていいのかな。

というか、普通にあるんだよ。手塚治虫無料読み放題キャンペーンみたいなやつ。あれってどうなんだろうか。ランキングが手塚治虫作品だらけになるよな。期間限定だから大丈夫なのかな?

はい話が逸れました。

ともあれ、無料漫画アプリを利用していれば、意外と昔の漫画も目に触れる機会はありそうだ。しかも無料。これは使わない手はない。

「面白い漫画が読みたい」と思っていれば、過去の名作のタイトルくらいはいくつか知っているだろうから、あとはそれを自分の納得のいく形で読める環境を作ればいいだけ。作ろうぜ!簡単だよ!

ちょっと手を伸ばせば、今の時代、そういう環境は結構用意されていますよ、という話。電子書籍サイトでも昔の漫画割引キャンペーンとかよくやってるしね。おすすめです。

今の漫画で十分

ぐうの音も出ない。全く仰る通りだよ。この時代、この国に生まれた事がなんと幸福かと思える程に、日本の漫画文化は素晴らしい。『ONE PIECE』がほぼ毎週読めるってとんでもない事だと思うよ。

よく見たり聞いたりすると思うんです。週刊連載はきつい系の話。『バクマン。』を読み返すまでもなくそこら中にそういう話はあふれてる。

実際異常だと思うんですよ。面白い漫画を描ける人って、全員間違いなく天才でしょ。凄い人たちなんすよ。そんな方々にブラック企業真っ青の重労働を強いて、毎週ワンコインでお釣りが来る金額で娯楽を提供していただいている。狂ってるぜこの国はよお。

いや、ちょっと冗談めかして書いたけど、漫画家の労働環境って、マジでもうちょっと何とか考えた方がいいんじゃねーか。というのは本筋からずれるのでまたの機会に。

とにかく現代の漫画文化は(抱えてる問題、懸念も山積してるが)とても素晴らしいと思う。面白い新作がどんどん出てくる連載中の名作もたくさんある。とても全てを追い切れない。俺もそうです。

ただね、現代の漫画には、絶対にできない事があるんだよ。できないというか、やりたがらないというか。それは「昔の漫画で既にやっちゃった事」。

ディープパープルを知らない若者がさ、超格好良いギターフレーズ思いついたぜってBURNのイントロを弾き出しても、それはオリジナルとして世には出せないよね。本人はオリジナルのつもりでも、それパクりだからね世の中的には。

これがもうほとんど唯一の、昔の漫画の強みだと思う。上手く伝わるかわからんが、オリジナルって事は、生の魅力がむき出しって事なんすよ。

現代の漫画は、先人たちが作り上げたものから、面白いエッセンス・手法・演出・物語なんかを、洗練させ、余分なものをそぎ落とし、現代人向けにアレンジして、時にはメタネタも織り交ぜながら自分の作品にしていく。そりゃあ、面白いさ。

ただその元になった作品たち。元の元の元になった作品にあった雑味、野生感、まっすぐな物語には、そこにしかない魅力ってもんがある。ジビエ的な。

梶原一騎先生の漫画とか、なんか熊肉みたいな雰囲気あるじゃないすか。なかなか最近の漫画じゃないですよ、熊肉。

そして、逆の発想で言えば、たくさんのオリジナル・源流を知る事で、現代の漫画家が持つオリジナリティをより濃く感じられる、という事もある。

(現代の)この漫画は、この辺りはオマージュだけど、ここは最高に独特だな、ってね。作品の理解が深まると思いますよ俺は!ええ!

なんだかんだ書いたけど、結局言いたかったのは月並みな事でした。昔の漫画を読むと、今の漫画をもっと楽しめるようになるよ。っていう。大きなお世話かよ!ごめんよ!

そういえばタイトルに入れてたの忘れてた

いかがだろう。少しは昔の漫画を読んでみてもいいかなと思えただろうか。

思えませんでしたか。そうかもしれませんね。

いや。まーね、ぶっちゃけね、君らが手塚治虫を読もうが読むまいが、俺の人生には何の影響もないしどうでもいいんですけどね。クソ!悔しいです!

はい。それでは最後に、折角タイトルにも入れたし、俺の「昔の作品最推しタイトル」『あしたのジョー』についてちょっとだけ書いておこう。

ほとんどの人はタイトルくらいは聞いた事あるだろうし、どころか、大まかなストーリーもご存知だと思う。面白エッセンスも押さえてるつもりなんじゃないかな。

ジョーっていう前髪マンが、力石とかいうシャクレとボクシングで戦う話。力石は減量しすぎて死ぬ。ジョーは真っ白に燃え尽きました。終わり。

嘘は書いてないな。

実際、俺が漫画でちゃんと読む前はこんな感じで捉えてた。俺含めて多くの人が驚く程わかってないのが、主人公・矢吹ジョーのキャラクターよ。

彼がどういう男で、どういう経路を辿って、最終的に真っ白になっちまうのか。これは是非漫画を読んでもらいたい。

もらいたいのだけど、ちょっとだけ。

『あしたのジョー』は現在あるボクシング漫画全ての良いとこ取り漫画です。

暴論じみちゃうけど、『あしたのジョー』はボクシング漫画でやるべき面白い要素を全部やっちゃってるのよ。

格好良いライバル、過酷なトレーニング、信頼できるトレーナー、この辺はもちろんある。

他にも、減量苦、リング禍はご存知の通り。必殺パンチ、トンデモパンチもあるし、主人公パンチドランカー疑惑もやってたな。

あとは、ジョーというキャラクターが持っている孤独感。そして彼は何のためにボクシングをやっているのか。この辺が、実に昭和の漫画らしくて最高に面白い。

ジョーって、「強くなりたい」とか「ボクシングにアイデンティティを求めて」とかそういうの一切ないのよ。ただただ「あいつに勝ちたい」それに尽きる。その人生の描き方が、ちょっと最近の漫画ではやりたがらないアプローチだと思う。

『あしたのジョー』についてはいつか改めて、ちゃんと触れたいなと思ってます。今回はいい加減長くなってしまうのでこの辺で。

以上です。ありがとうございました。

コメント